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福岡地方裁判所小倉支部 昭和23年(ワ)209号 判決 1948年12月28日

原告

空閑健士

外二名

被告

東洋陶器従業員組合

主文

被告が昭和二十三年五月二十二日の被告組合執行委員会の決議に基き同月二十七日原告等に対して為した組合員除名処分の無効なることを確認する。

訴訟費用は被告の負担である。

請求の趣旨

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求める。

事実

原告空閑健士は九大応用化学科卒業生であつて被告組合の常任執行委員兼生産部長を原告杉義勝は明専卒業生にして同組合の常任執行委員兼生産副部長を原告大谷昌は久留米高工卒業生にして被告組合の生産企画委員であり何れも東洋陶器株式会社の従業員である。而して右会社及び被告組合間の労働協約は所謂クローズドシヨツプであつて会社の従業員は必ず組合員たることを要し従つて組合を除名されると会社を解傭せらるるの止むなきに至るのである従て組合の除名処分は死刑の宣告にも等しいのであるから深く原因を探求し且つ被除名者の弁明を許し証拠を判断して決すべきであることは勿論であつて同組合規約第三十一条に依り除名原因が定められ同第三十三条に依り組合員の提訴並に自己の言動に付ての議決の際の参加発言権を規定されて居るこれは自己に利害関係があつても投票権を失はぬと云う趣旨である然るに被告組合に於ては一部勢力の結束して専制を為し自己の意に添はない者に対しては之に証拠なき汚名を負はせ弁明並に証拠提出の機会を与えず遂に除名処分を為す迄に至るので之が無効確認の訴を提起する外はないのである。即ち昭和二十三年四月三日被告組合は会社に対して赤字補填資金闘争を争うことを決し即日総額四百十万円の要求を為したところ同月八日会社はその内二百三十万円を承認し残額百八十万円を拒絶した茲に於て被告組合は闘争方針を決定しストライキ突入の態勢を整えたが当時会社の経理状況は過去に於ける様に会社に蓄積資本のある場合と異り生産を向上させねば賃金の増額は困難な状況にありストライキに依ては却て生産を阻害し赤字補填金の支出も困難になる虞があり原告等は何れも生産部長同副部長同委員としてこの間の事情計数に明るかつたのでストライキに依て要求を貫徹するよりも寧ろ会社に直接事情を説明して要求を貫徹するに如くはないと考え会社側を再三説得した結果一部条件を附して総額四百十万円支給を会社側に承認させた斯くて会社及被告組合は同年四月二十二日右の案を基礙として完全に円満協定成立し執行委員会並に総会も之を承認し当時の組合長萩原操は之に署名調印した素より原告等の案に於ける一部の条件も右協定書の外に一歩も出でず外に秘密協定等あり得る筈はない被告組合が原告等の直接説得に不満があるとすれば右の協定に飽迄反対してストライキをすれば足るのであるに拘らずその際は何等異議なく之を承認したのであるから被告組合は寧ろ原告等の功績を認むべきであるに拘らず却て原告等が会社に直接説得したのは組合に対する裏切行為であつて会社に力を与え組合に無形の損害を与えたと主張して遂に原告等の除名問題を惹起するに至り同年五月十六日当時の組合長萩原操副組合長梶山光樹書記長井上圭次郎は原告等の除名を決意し同月十七日常任執行委員会を開催し同組合長は席上原告等の除名を主張しその理由として(イ)原告等は会社と八百長交渉をした(ロ)会社側に組合の内情を報告した(ハ)近く為すべき賃上闘争は組合が倒れるか会社が倒れるかの闘争であるから原告等を除かねば闘争が困難であると述べその主張についての証拠の提出をせずして事実であると専断し同委員会をして原告等の除名を決定させた上原告等に対し辞職勧告を為し次で同月二十二日の執行委員会に於ては組合規約第二十三条に違反して原告等に退席を求めて討議裁決を為し又執行委員でない傍聴者に対し組合長の専断で発言を許して原告等に対する虚偽の中傷をさせその演説中これには証人があると述べた事に付その証人の氏名を挙示せよと求めらるるや証人の氏名は挙示する必要なしと制止し恰も虚偽の事実に付真実証人がある様に執行委員会を誤信させ遂に原告等三名の除名を決議させるに至つた斯くて当時の組合長萩原操は(一)組合幹部が組合中闘争本部会議の決議に反し単独交渉をした之は組合の統制を紊したものである。(二)会社側に精神的力を与へ組合に無形の損害を与えたという理由を挙示して原告等の除名を公告し之れに依つて通告して来た然し右の除名処分は(一)原告等が単独に会社側と面会したことは事実であるけれども原告等も執行委員闘争委員であつて要求事項に付之が貫徹の為に説明又は努力をするのは決議に反して単独交渉をしたことに該当しない且何等統制を紊したものではない又単独交渉をせぬと云う決議が明確に為されたことはなく唯お互に裏切はせずとの申合せがあつたに止まるものである。而して交渉と云うからには相当の懸引を含むものであるけれども原告等のしたことは単なる要求貫遂の為の説得行為に過ぎない(二)統制を紊したと主張するけれども組合と会社との間に四月二十二日交渉成立する迄組合内の統制が紊れたことはなく会社も略組合の要求を認めて円満解決したものであつて統制を紊した事実は全くない強いて云えば組合長一人の功績とすべき要求貫徹に付原告等の力の与えたことが組合長の威信に関すると云う程度に過ぎない(三)会社側に精神的力を与えたり組合に無形の損害を与えたことはない精神的力又は無形の損害と云う様な抽象的中傷によつて原告等を除名すると云う様なことは組合ボスの専制も亦其の極に達したものと云うべく昔の封建君主を組合の美名の下に温存すると云つても過言ではない団体交渉権は勿論憲法の認むる権利であるが夫れは他の権利と同様正当に行使せらるべきもので特に神聖不可分と云う特質はないそして本件行為は各個撃破の一様式で団体交渉権を補強するものであり之を侵害するものではない(四)本除名処分の基礎となつた五月十七日の常任執行委員会及同月二十二月の執行委員会に於ける議決は組合規約に違反して為されたものである。即ち規約第二十三条第二項に依れば組合員は自己の言動に関し議決がなされる場合には自ら参加し発言する権利を有すとあるに反し原告等を退席させて討議々決した又傍聴者に勝手に中傷的発言を為さしめ、其の発言中に之には証人があると云う陳述に付証人の氏名を挙示せよと求めたのに反しその必要はないとして却下しその中傷的発言を真実であると誤信させた(五)労働組合は社団であるけれどもその内部関係に於ては民法組合の規定の適用があるところ民法第六百八十条に依れば除名は正当な事由のある場合に限り他の組合員の一致を以て為すことを得となつているその正当な事由とは当該組合員を組合から除斥することが一般に正当なりと認むべき事由である、而して何が正当であるかは現行労働組合法上労働組合の本質目的に照し原告等の為した行為が果して除名に相当するか否かによつて決せらるべきである現行労働組合法の下に於ては労働組合は一面に於て経営者と闘争することを目的とするけれども他面之と協同することを本質とし目的とする専ら協同のみを本質目的とすれば御用組合化し、組合の自主性を喪失すること勿論であるが一切の協同を否定し闘争のみを本質目的とすれば組合は遂に経営者を倒すと共に自らをも滅すに至るであろう。労働組合法案の説明に於て小笠原商工大臣は労資は相互にその立場に於て主張すべきものを主張せしめる此の対立は飽迄対立として相互の批判を自由ならしむる如くすることが必要であるがその究極の目標が相互の尊重と理解とそうして協力にあることを明確に闡明することは特に必要であると述べている。而して原告等の為したことは組合の要求を経営者側に説得したに止まり組合の自主性を喪失させる様な交渉をしたことのないのは明かであるから組合の本質目的に照し何等之を逸脱したものではない被告組合の主張は労働者と経営者とは協同すべきでない唯力の関係があるのみだから力と闘争によつてのみ屈服させねばならぬと云うに帰着する此の闘争のみを目的とし協同を全く否定する様なことは現行法上は寧ろ不健全な組合であると云はねばならない、仮りに民法第六百八十条の他の組合員全員一致を以てのみ除名し得るとの規定は労働組合法上多少の修正は免れないとしても少くとも全員の四分の三以上の一致を必要とする従て単なる執行委員の多数決によつて為し得るとの規約は夫れ自体失当である何故ならばクローズドシヨツプは労働ボスの専制を来すから公序良俗に反し実質上無効であるとは云え進んで無効の主張はしないけれども之れに於ては除名は各組合員の死活に関し而かも組合結成の目的が自己の生活の維持にありとすれば相矛盾して適当でない、殊に多数派が少数派排斥の具に供され易く又御用的組合に於ては会社と組合幹部と結托して整理の具とも為すことが出来、従て斯る規約は民法第九十条に依るも無効である。(六)除名を過半数の多数決に依つて決議することは全体主義的であるから個人の権利は最大の尊重を要すとする憲法第十三条に反する即ち全員一致或は労働組合法第十四条の三、第二十三条に準じ四分の三の決議を要するとするのが相当である。(七)仮りに原告等が統制を紊したとしても社会感情上除名を為すことは正当でないから、刑法並に憲法に違反したものである何となれば社会感情に照し除名を正当とする理由がないに拘らず些少の口実を以て多数決に依り除名するのは原告等の人格を蔑視し、且その労働権、生存権に脅威を与えるものであるから名誉毀損並に脅迫罪を構成し違法であるからである(大正九、一二、一〇大審院判例参照)而して団体交渉中その要求の範囲内で単独説得するが如きは除名に値しないこと社会感情上明かである。単独説得丈で除名するのが常識でないことは何人も考ていることで僅かな間に嘆願書が五百数十名分も出たし又地労委植山委員の如きも除名勧告をした程である。(ハ)除名処分公告後組合員総数千四百余名の三分の一以上である五百数十名が除名処分取消又は減刑の嘆願をし総会の開催を求めたのに対し、被告組合長は組合規約第十七条に違反して之を却下した等の理由により無効である。本件問題の核心は原告等が会社と通謀して協定成立と交換に急進分子の追放を協議したと云う虚偽の宣伝を信じその予断によつて除名したと云うことにある。そして右の様なことは全く根も葉もない宣伝であつて原告等は斯様な密約をしたことは全くない、当時の組合長萩原は急進分子追放の密約があると聞いたとの証言をし之に対し何人から聞いたかと訊問さるるや之に対する証言を拒絶した、若し聞いたことが虚偽であれば偽証であり聞いた人を云わないとの事であれは証言拒絶である。除名審議の委員会は一種の裁判手続であるから公平に審議し先ず事実を明かにし、然る後刑の量定の審議をせねばならぬのに萩原は先ず除名を相当とすとの宣言を為し原告等に対しては申開きあれば述べよと申渡したが斯様に判決の予断を先ず示し、然る後審議せよと云う様な審議手続は公平であるべき裁判手続としては無効である。除名理由がなく執行委員会を通過する筈がないのに通過したのは萩原が急進分子追放の密約があると云うことを委員に暗示し、委員も之れに掛つた為である。被告組合の主張は原告等を除名せねば将来之を模倣するものが生ずると云うに帰着するが、之は刑罰を以て組合員を威嚇しその団結を保持しようとする中世の威嚇主義的専制であつて個人主義を基調とする憲法に反することは明かである。又原告等はストライキをせずして要求を貫徹すると云う主張であつて被告組合の多数派はストライキに依る生産管理の如き支配権を要求するのである。何となれば要求を貫徹しても直接説得は不可であるとするのは直接説得が行われずしてストライキに入ることを希望する為であるからである。斯様な要求は単なる口実であつて生産管理の様な支配そのものを求むる様なことは現行法上は違法であつて、今日の社会常識からすれば原告等が正しく、被告組合の方が非であると云うべく多数の力を以て正論を除名するのは勿論失当である旨及被告の答弁に対し、原告等が会社側の者を訪問し、又会社側の者の訪問を受けた日時回数及会社側の者の氏名等は被告主張の通りである旨陳述した(立証省略)。

被告代理人は原告の請求棄却の判決を求め答弁として原告主張の事実中、原告等の経歴、原告等が東洋陶器株式会社の従業員であつて被告組合の組合員であつたこと、被告組合に於ける原告等役職が原告主張の如くであつたこと、被告組合と会社との間にクローズドシヨツプ制を採る労働協約のあること、被告組合の規約中その趣旨は別として第三十一条、第三十三条の規定のあること、争議経過に付四月三日の要求書提出から四月二十二日妥結迄の概略が原告主張の通りであること、原告三名の除名に付五月十七日常任執行委員会を開き五月二十二日執行委員会に於て除名を決議し同月二十七日之を職場に公告したこと等は之を認め、他は之を否認する本件の真相は次の通りである。即組合は会社に対し四月三日要求書を提出して四月十七日第九回の団体交渉に於て決裂したが、二十日に至り会社側は協定案を提示して来たので再交渉の結果二十二日妥結した。然るに其の後に至り原告等が組合の承諾を受けずに(一)四月十日と十一日の間に杉と空閑とが午後七時半頃富士本労務部長宅午後八時頃社長宅を(二)四月十八日午後十一時頃大谷が青木常務取締役宅を四月二十日二十一日の間に杉と空閑とが午後十一時頃青木取締役宅を、午後八時頃富士本労務部長宅を夫々訪問し、四月十五日午後八時頃富士本労務部長が空閑宅を訪問して来たことが判明した。仍て組合長、副組合長、書記長等は善後策を協議した結果正式に執行委員会に掛ければ除名になることは必至であつて原告等に気の毒であるから常任執行委員会に掛けて辞職勧告をすることに決し、五月十七日午前午後の二回、二十一日一回、二十二日午前一回常任執行委員会を開き、原告等の意見も充分聞き質したところ原告等はその非を認め自ら辞職することとなつたのであるが、組合の将来の参考にもなると思うから執行委員会に掛けて呉れと云うので、二十二日午後執行委員会に掛けたその結果無記名投票に依り二十五対六で除名と極り、間もなく之を原告等に通告し同月二十七日規約に基き公告をしたのであるが、原告等に特に通告しなかつたとしても規約第三十二条に依り、全組合員に通告すれば原告等にも通告したことになるのであるところが、その後上田晃等の発起に依つて減刑嘆願書の署名がなされたが、その趣旨は今回の執行委員会の決議は厳正なものと思うが若干の減刑をして貰いたいと云うものであつた。仍て執行委員会は之を取上げ審議の結果五月二十八日の執行委員会に於て二十六対二で減刑しないことに決定したので、発起人にも通知し同人等も之を諒承した。尚此の時此の執行委員会の決定に不平であれば総会の招集を要求しても宜いと言渡したが、遂にその事もなかつた原告等は原告の発言を封じたと主張するけれども之れは虚偽である。原告等には充分発言させ最後の議決の時は原告等に議決権もなく且目前で議決するのは気の毒であるから、退席を求め原告等も之を承諾して暫時退席し、再び呼入れて無記名投票の結果を告知した。此の時原告等は執行委員会の厳正な処置に感謝する組合の発展を祈りますと云い、出席者全員劇的シーンの中に決定したのである。又傍聴者に中傷的発言を為さしめたと云つているが斯ることはない。要之本件の除名決議は真に民主的に規約通りの手続でなされ原告等充分之を納得して居たものであつて、原告等が訴を提起した真意を解するに苦しむものである。而して原告等の行為が組合の統制を紊すものなりや否は民主主義の真諦である労働組合の運営多数決原理の本質を認識すれば極めて明瞭である。即ち労働争議の団体交渉中にその一部幹部が単独に夜陰使用者側と交渉することは団体交渉の裏切であり、団体権を蹂躙するものである。規約三十一条の組合の規律統制を紊したる者の之れより甚しきはないされば組合も涙を呑んで除名処分に附したのである。尚又四月十七日団体交渉が一度決裂したとき委員会で個別交渉しないことを申合せ、又争議の最高闘争委員会が結成されて居たが焼成課の組長連中が品川課長に交渉仕様と云う議が起つたときも委員会の承諾を得て之を行つている様なこともあり、是等を併せ考えるときは本件訴が全く無意味であることが一層明白である。本件の争点を整理すると原告の主張は(一)本件除名は組合規約に違反した手続で行われたから無効である(二)除名の理由が実質的に成立たないと云うにある(一)は具体的には規約第十六条第二項第二号(組合員の三分の一以上の要求があつた場合は臨時総会を招集する規定)第十七条第四項(傍聴人の可否を決定する権限の規定)第三十一条(処罰に関する規定)第三十三条(組合員の権利及義務に関する規定)に違反して為されたか否かであつて、之れは専ら証拠に依つて除名が如何なる経過で行われたか事実関係が明瞭となれば自ら分明となることと思われるから詳説しない。而して組合の運営が規約に則つて民主的に行われて居る限り、その手続に違反行為がなければ何が除名理由であるかの判断を俟つ迄もなく、本件の結論は極めて明白であると云わねばならぬ。そして右手続が非民主的な運営で行われたと云う積極的な証拠は何もない。殊に組合の統制を紊すものと云う抽象的基準は専ら組合構成員の判断に任せらるべきで全く立場を異にする第三者が誹議するときは組合の自主的運営と云う法の予想した精神を没却し、組合の在り方を誤らしめる結果となる惧がある。又被除名者は第三十三条に依つて総会に提訴することが出来るに拘らず、敢て之をしなかつたのは組合規約を無視して少くとも充分に手続を尽さずして裁判所を利用したと云つても少しも過言ではない(二)に付具体的に云えば本件原告等が団体交渉中組合機関に連絡なしに数回使用者側と夜陰単独交渉したことは規約第三十三条の組合の規律を紊したる者ではないか否かである。之れについての判断は組合の自主的判断に任せらるべきであることは前段に陳べた通りであるが、仮りに第三者の誹議を許すとしても何が組合の統制を紊る者であるか否かは此の当時の情況其の時期之を判断する者の社会的通念等に依つて綜合的に判断されねばならぬ本件単独交渉をしたのは争議中の最高幹部中の者であつた中二人は組合規約作成当時の委員でもあつて組合の団体行動権(憲法参照)については最も認識あり、之を統率する責任ある地位の者であつた団体交渉権は労働組合にとつては神聖不可分絶体の権限であつて団体交渉権の保護助成に依つて労働組合の健全な発達は望まれ(労組法第一条参照)本件東洋陶器従業員組合の労働協約書(乙第二号)にも劈頭に会社は組合が本社内に於ける唯一の労働組合たることを認め、一切の交渉は組合とのみ行い、之れ以外の団体との交渉は之を無効とする(第一条)と定め、其の神聖不可分単一性を規定して居る勿論単独交渉をしてはいけないと云う規定は何処にもないが、之れは組合内デモクラシーの本質上当然のことで規定するまでもないからである。或は争議中組合が使用者に対し各個撃破と俗に云われている戦法を用いることはある。之れは使用者の個々に対して圧力を加えることによつて全体としての使用者を弱める戦法である之れとても勿論組合の争議指導部の指示と諒解の下に行われるのである。本件に於ては四月十七日交渉が一旦決裂したとき各個撃破乃至単独交渉はしないこと、是等は来るべき総会後に極めるとの申合さえあつて厳に是等の行為を戒めたのである。争議中は労資双方必死の態勢にあるから此の間種々な取引が行われ易く事実亦単独交渉には取引乃至情実の或る程度のものが附随することは常識であるから是等のことを充分承知している最高幹部が敢て単独交渉をしたところに統制を紊す度合も一層重いと云はねばならぬ。尚原告等は委員会の席上で交々自己の非を認めているのである。本件単独交渉の時期は争議中であつた労働争議は労資当事者間にその主張が一致しないで最早や平和的方法では之を解決するの道がなく、強力な争議手段に訴へて要求を貫徹する状態、又はその虞ある状態であつて、通俗に闘争段階と云われていて此の時は労資間は極度に対立して労働組合にとつては最も団結の鞏固を図らねばならぬ時である。又労働者にとつては現下に於ける要求は全く生存権の叫であり、血の叫と云つても過言ではないのである。従て争議中は労資共異常に緊張した心理状態にあり、それ故にこそ争議中は特殊の統制下に置かれているのである。団体協約第二十三条に会社は組合の罷業中如何なる者とも労務供給契約を結ばないと規定し争議中の取極をなし、苟くも団結権を侵害する疑の生ずる様な行為すら禁じている所以である。本件は四月十七日団体交渉が決裂して正に総会によつて争議行為に入るばかりの状態に於て行われた行為であつてその組合の統制を紊す程度も亦大であると云わねばならぬ。果して争議解決後五月六日から約十日間当時の組合長萩原操が社用で上京したとき大阪営業所で伊藤事務官から今度の争議では大谷が青木さんの家に行つて解決したそうですね云々と云われ、東京営業所では田中副所長から交渉の裏に何かあるらしいですね云々と云われ、本件の単独交渉が組合長の耳に入る前に東京大阪の使用者側に通じていたう云う事実は争議中労資双方が如何に異常な関心を持つているかを裏書するものであり、又本件単独交渉が組合の純潔性を汚した程度を推知することが出来る、何が統制を紊すものであるかは結局社会通念によつて定まるものである。労働法は正当なる争議行為については民事刑事身分上の責任を阻却することを規定しているが、何が正当なるものであるかは結局裁判所の判断に譲つている本件も亦組合の判断が何処迄正当かと云う問題となる、然らば正当なるものと然らざるものとの限界は何処に求めるかと云うと末弘博士は労働組合の業務上社会通念により正当と認められるものとなし、牧野博士は健全なる常識によつて正当と思わるるものとしている。然し社会通念とか健全なる常識とか云う抽象的普遍的尺度を以て労働関係と云う特殊の新しい集団的法規律対象を律することは極めて危険てある。何となれば労働関係と云う使用者と労働者と全く相反した利害に立つての集団に共通した社会通念を見出すことは困難であるからである。資本家階級の社会通念は必ずしも労働者階級の社会通念ではあり得ない。而して吾人が社会通念としているものは往々にして現状の変革を好まない社会通念を支持し、又左様になりがちであると云うことが重要である。然れば統一的な基準は何処に見出すべきであるかと云うと(イ)我国の現在は急激に民主化しつつある過程にあり労働組合は我国民主化の担い手であること(ロ)我国の労働運動は過去に極端な弾圧の歴史を持ち、使用者は労働運動に無知無理解であると云う特殊性あること等を充分認識することによつて労働関係と云う特殊の新しい法域の問題を初めて把握することが出来るのではないかと思われる。我国はポツダム宣言の受諾によつて我国の将来は民主化する以外に途はないと云うことは峻厳な事実であつて、労働組合は日本国民に民主主義の何者であるかを知らしめる最善の教室である。(一九四五ジー・エツチ・キユウ・スポークスマン)労働組合こそは我国民主化の担い手であり、労働組合の自主的運営組合内デモクラシイに依つて民主化は推進せられ、産業の民主化は齎される労働組合法の立法精神も亦団体権を保障し、団体交渉権を保護助成することによつて労働者の地位を向上し、延いてその結果として経済の興隆に寄与することが出来ると宣明している。又一九四六年十二月十八日極東委員会で決定した日本労働組合十六原則第十条には労働組合組織は労働者自らによるその民主的な自己表現ならびにイニシアチーフ発揮の過程でなければならぬと云い、又同原則第十三条には自由な労働組合の組織又は正当な労働組合の活動を妨害し、又は妨害する為の措置をとつた日本政府その機関は廃止さるべきであり、又労働組合に対するその将来の権限は取消さるべきであると云い、以て何者にも拘束されない日本労働組合の自主的な在り方の基本原則を知ることが出来る。我国の労働運動は嘗て極端な弾圧の歴史を持ち使用者は労働運動に無知無理解であることが現在の我国労働組合の在り方を特殊性あるものとしている。即ち戦時中乃至それ以前の我国労働者は封建的家族的雇傭関係乃至軍隊的産報組織に依つて統制され、労働者には発言の自由も対等の権利もなかつた。使用者は公安に名を藉りて官憲の力に縋つて労働運動を弾圧した。今や使用者は直ちに官憲の力が恃にならぬことを知るや自らの手で労働組合の切崩し、利益誘導弾圧を為し又憲法労働法で法認された団結権を否認し、団体交渉を回避したりするこれは労働関係に対する使用者側の無知無理解と労働組合に対する旧観念の抜け切らないことから生じたもので、我国に於ける現下の労働運動の不健全なものの原因は殆んどこれから生じている。従て是等使用者側の触手を排除して労働組合の純潔を保持するには労働組合の強力な自主性の保持に俟たねばならぬ是等使用者側の策動を許すときは組合の自主性を失うばかりでなく、或は組合ボスを生ぜしめ、御用組合化せしめ我国の労働組合の健全な発達は望めないことになる。此の故にこそ団体交渉権の単一性神聖絶対性を云為する所以である。況んや疑心暗鬼を生じながら争議中に於ては尚更である。而して以上のことは現在急カーブを描いて民主化しつつある我国に特殊のものであつた。何れの国にも直ちに範を採ることは出来ない現象と云わねばならぬ、原告代理人は民法第六百八十条を云為しているが、民法と云う旧世紀的個人法的規律対象を労働法と云う新しい集団法的規律対象に当てはめることが違法であり、又如何に不合理であるかは明白であつて殊に民法中組合契約の債権的規定を労働組合と云う(団体労働組合法第二条参照)に当てはめ様とすることは全く法の解釈運用を誤るも甚だしいと云はねばならぬ。仮りに百歩を譲つても除名の正当なる理由も亦前述の基準によつて判断するときは、本件訴が如何に理由のないものであるかは極めて明白である。組合の規約は労組法第五、七、八条に依り特別法として民法組合の規定を排除して優先的に適用さるべきである旨陳述した(立証省略)

双方代理人は除名当時の執行委員会の構成員は四十二名であつた旨一致して陳述した。

理由

原告等が何れも東洋陶器株式会社の従業員であり、同従業員を以て組織された被告組合の組合員にして原告空閑は常任執行委員並に生産部長、原告杉は常任執行委員並に生産副部長原告大谷は生産企画委員であつたところ昭和二十三年四月三日被告組合が経営者たる右会社に対し赤字補填金四百十万円の要求を提出し、数回に亘り団体交渉を重ねたけれども、同月二十日一旦決裂し被告組合は争議態勢に入ろうとしたところ会社から更に協定案の呈示があり交渉再開の結果同月二十二日交渉妥結して若干の条件を附して四百十万円全額を獲得したこと、右要求提出後交渉妥結に至る迄の間当時交渉委員であつた原告等が四月十日十一日の間に杉、空閑の両名で会社側の富士本労務部長方及社長方を、四月十八日大谷一人で青木取締役方を、四月二十日、二十一日の間に杉、空閑の両名で青木取締役方と富士本労務部長方を夫々訪問し、又四月十五日空閑が自宅に於て富士本労務部長の訪問を受け、それ等の時間は何れも午後七時半頃から十一時頃であつたこと、右訪問の事実が交渉妥結後判明したので五月十七日被告組合常任執行委員会を開きその決議に基き原告等に辞職を勧告したところ原告等から執行委員会の審議を求めたので、同月二十二日執行委員会の議に附しその決議に基き、同月二十七日全組合員に対する公告の方法に依り除名の通告が行われたこと、右執行委員会当時の同委員会構成員は全部で四十二名であつたこと、被告組合と会社との間の労働協約中にはクローズドシヨツプ制採用の約款があることは何れも当事者間に争のないところである。而して証人青木眞一、同富士本泰、原告本人空閑健士の各供述を綜合すれば原告等は何れも生産部の役員である関係上、会社側の計数にも比較的明るく生産状況にも通じて居て争議に入るとすれば組合としても相当の犠牲を払わねばならぬし折角上昇途上にある生産の減退を来たし、その恢復には彼此半歳を要しお互に不利益であるから会社側を説得し早く要求を承認させるに如くはないと云う見地から会社側の者を訪問の上その是非得失を説明し、会社側の富士本労務部長が原告空閑方を訪問した際にも富士本に対し空閑が要求を無条件に承認する様申勧めた事実が認められるが被告援用の各拠証によるも組合の為に不利益なことを洩したり、或は組合の負担条件を持出した事実は全然認められない。又成立に争のない乙第五号証の一、二に当事者弁論の全趣旨を参酌すれば四百十万円の要求は全額承認され只若干の条件が附加されたけれども、是等条件は結局会社と組合の協調による危機突破を強調したものであつて寧ろ云わずもがなのことであり、特に条件と称する程のものではなく之に由つて組合が不利益な負担をしたものとは認められない。証人萩原操の供述に依れば当時組合長であつた同証人が交渉妥結後大阪、東京の営業所に行つた際同所員から今度の争議では大谷が青木宅を訪問して解決したそうではないかとか交渉の裏に何かあるらしいとか云はれたと云うことであるけれども、是とても必ずしも組合を非難したものとのみは解されない。却て各個交渉の奏功したことを云つたに過ぎないとも取れるのであつて、之に由つて特に組合の不面目を来たしたとも云い得ない。右認定に牴触する証人萩原操の供述部分成立の争のない甲第三号証の記載証人井上圭次郎の供述に依り成立を認むべき乙第十一号証中の供述記載部分は何れも之を採用しない、とは云え原告本人空閑健士の供述に依ても委員会の席上で決議とまでは行かずとも個別交渉の話が出てそれはしない方がよろしいと云うことに落着いたと云うことが認められるから原告等としても大体此の線に沿つて足並を揃えるべきであつたに拘らず、他の委員の諒解を得ずして個別的に会社側の者に面会して交渉と云う程のことはないにしても交渉中の要求事項に関し意見を開陳したと云うことは、その情状の軽重は兎も角として組合の統制を紊したと云う誹は免れ得ないし、組合としても団体交渉中は殊に一糸乱れぬ統制と云うことが望ましいのであり、それが組合の面目でもあることを思えば、原告等の右の行為に因り組合の面目が幾分なりとも傷つけられたであろうことは之を認めない訳には行かない。次には執行委員会の除名決議がその手続又は方法並に結果の面から見て有効か否かの問題である此の問題は便宜上之を二段に分つて観察することが出来る。その一は委員会の招集その成立、決議の方法等一連の集合行為の中に決議全体を無効とする瑕疵欠があるか否かの問題であり、他は採決方法、計算等に決議の結果に影響すべき違法の有無に関する問題である。前者は恰も選挙訴訟に於ける目的に酷似し後者は当選訴訟に於ける目的に相当するものである先ず前段に付案ずるに委員会招集の手続については当事者間に何も争われていない。茲では(一)表決に先立つ討議の際に原告等に十分の弁解を許さず(二)議長が傍聴人に勝手に発言を許し、その発言につき立証仕様とする者があつたのに議長は之を遮つて立証させずに原告等に不利益な事実を証拠なしに真実であると云う印象を議場に与え(三)表決の際に原告等の立会を許さなかつた(四)執行委員会は除名の如き重要事項を決議する権限がない等の原告の主張問題にされるが、証人井上圭次郎、同大屋昭子の供述に依り成立を認むべき乙第一号証の一の記載に右証人等の供述及原告本人空閑健士の供述部分を綜合すれば原告等に対しては十分弁解の機会を与えたこと、又議長が傍聴人の証拠挙示を遮つて徒らに原告等に不利益な事実を真実であるかの如き印象を与えたことはないと云うことが夫々認められる。之に反する成立に争のない甲第八号証の記載部分は採用しない議長が傍聴人に発言を許したことは証人萩原操の供述に依り認められるが成立に争のない甲第二号証、乙第三号証規約の第十七条第四項に依れは、執行委員会に於ける傍聴の許否は議長が之を決定し得ることになつているから傍聴を許したことについては何等誹議すべきことはなく傍聴人に発言を許すか否かについては規約上何等の規定がない。惟うに傍聴人に発言を許し決議本項について意見を陳べさせると云うことは、その意見が議決権者の自由意思に影響すると云う様な弊害のあることも考えられるが、之れは議決権者が自主性を堅持し且良識を持つているならば広く意見を徴して公正な判断の資に供すると云うことになり、敢えて之を違法とするには足らないものと解する表決の際に原告等を立会はせなかつたと云うことは当事者間争のないところであるが、此の点は後段の問題に関する規約第三十三条の解釈と関連するところがあるから、茲では右のことは之に因り決議行為の公正が害されたと云う事実は認むべきものがないから決議全部の無効を来すべき違法とはならないと云う結論を示すに止め、他は右規約についての説明に譲る次に執行委員会の権限問題であるが、除名が執行委員会の権限に属すると云うことは前示規約第三十一条の規定に依り明かであるけれども、原告の主張は更に遡て斯かる規定の効力を争うものでもある成る程除名は重要な事項である従つて之れは総会の決議に依るのが相当であると云うことは多く説明を要しないけれども、それかと云つて斯様な規約を無効とする理由は認められない。その説明は後段中の定足数の問題についての説明と関連するから之に譲るけれども斯様に委員会に強大な権限を持たせると云うことは委員会の専制を招来し、組合ボスの発生の為に温床を与えると云う結果になり易いと云うことを注意すべきである。以上に限り前段の問題としては本件執行委員会の決議を無効とすべき理由は認められないことが明かにされた。尚此の機会に除名決議後他の組合員三分の一以上から減刑嘆願があり、総会の招集を求めたに対し之を却下したのは規約違反であると云う原告の主張に付案ずるに証人上田晃の供述に依れば組合員の三分の一以上の連署で減刑嘆願書を組合に提出したけれども、それは総会の招集を要求したものではないことが認められ、原告の立証に依つては総会招集の要求をした事実は認められない。次に後段の問題に移る茲では(一)決議は全員一致か少くとも全員の四分の三以上の多数決に依るべきである(二)原告等も表決権を有するに拘らず、之を行使させなかつたと云うのが原告の主張であつて票数の計算については何も争われていない。民法と所謂労働法と総称される労働組合法、労働関係調整法その他是等の法律を取巻く一団の法規との間には確かに関連がある。是等労働法の臍帯が民法に繋つていることは否定し得ないところである。従て労働法も民法から出たもの、即ち民法を一般法とする特別法であると云い得るのであるが、しかし民法は個人主義的な法律であるに引換え、労働法は集団法団体法的なものである今や個人主義を基調とする民主主義の華かな最中に団体主義の労働法が生れたと云うことは聊か奇異の観がないでもないが、しかし団体は社会生活を営む個人が自己を最大に主張する為に最もよき方便であることを思えば。必ずしも怪しむに足らない。兎もあれ労働法は民法から生れた鬼子であると云うのは蓋し適評である。斯様に労働法は民法の鬼子の様なものであるが故に親とは似ても似つかぬと云つた様な点が甚だ多い。民法組合の規定は労働組合に適用乃至準用されても宜さそうに思われるけれども、労働組合と民法の組合とはその目的が異り、民法の組合は営利組合であるが労働組合は左様ではないし、前者は個人主義に立脚したものであり、後者は団体法主義に基礎を置くものであつて其の間には到底一様に律することの出来ないものがある。民法第六百八十条の除名は他の組合員の一致を要すると云う規定の如きはその一例である民法は個人主義的でありその組合規定の如きも往々大規模のものがあり得るとしても大体に於て小規模な集団を目標にしたものであるから、全員一致と云うことも比較的容易に行われ得るのであるが団体法の場合は主として相当大規模な集団を目標とし、従て全員一致と云うことは得て望み難い。それ故に団体法の領域に於ては全員一致を要するのはその団体を作るときの原始契約のみであり、他はすべて多数決に依るとするのが団体法理として認めらるるところである。然らばその多数は如何なる定員数に依るべきであるか、多数決は過半数に依るのが長低のものである。同数以下では多数決は成立しない。正確に云えば同数では可否共に成立せず可が否よりも一票でも少数なれば可は成立せず、反対に否が成立する。そして棄権者は結果に賛成したものとして見られるのである。斯様に多数決は過半数から全員一致迄の間に於て成立する。そして決議事項の重要さに応じその度の高いもの程全員一致に近い多数決に依るのが原則であると云う説もあるけれども、それは政策上の問題として大いに傾聴に値するものであることは認め得るとしても動かすことの出来ない原理であると云うことは之を認め難い。一票多くとも多数は多数でありそれに依てその団体の総意と称せらるる意思は決定するのである。過半数から全員一致迄の多数決は因て決定した団体総意を色彩的に見た場合の濃淡の差に過ぎないのであつて、質の相違ではなく只重要度の高い事項についてはその高度に従て全員一致に近い多数決に依るのが相当であると云うに止まる。然るに民法、商法等比較的古い立法例によれば重要事項と見られる或る種の事項については四分の三以上の多数決が要求され、新立法である労働組合法第十四条は解散について同様な事を要求している。是等の規定から帰納すれば重要事項と見ることについては疑を容れないところの除名についても成文規定はなくとも当然四分の三以上の多数決が要求されるのではないかと云うことが考えられる。しかし労働組合法が解散の場合にのみ規定したに拘らず除名の場合と何故規定しなかつたか、又労働組合法より遅れた立法ではあるけれども各種協同組合法が除名については之を重要事項として特別の定足数に依る決議を要求して居り、労働組合法はその前後に接着して一部改正が行われたに拘らず何故前示新立法に追随して同様な規定を加えなかつたかである。惟うに労働組合の設立存続は勿論その運営に組合の自主乃至自治に委し或る点例えば設立の如きは自主的であることであることを要求さえする建前を採つていることが労働組合法、労働関係調整法等の規定から明かに観取されると云うところから見れば除名を敢へて重要事項でないとするものではないが、去りとて解散に比する程でもなく寧ろ組合の自治に委するのが相当であると見たからであると解される。斯様な見方は労働組合の現状から見れば聊か買いかぶつた観がないでもないが、それは決して不当ではない労働組合法は在るべき組合を目安に置いたものであるからであつて、組合の良識と自重とが要請される所以である以上のことから三分の二以上或は四分の三以上多数決でなければならぬとも云い得ないこのことは各種協同組合法その他の新立法の規定を考慮に入れた場合も同様に結論し得るところである。又以上のことは除名を執行委員会の権限に委した規約が有効であるとする理由の説明にその儘援用することが出来る。次に利害関係ある者の表決権問題である原告等を除名するか否やが議題であるから原告等は之について個人的な利害関係があることは云う迄もない。そして本件執行委員会に於ては当時執行委員であつた原告空閑、杉の両名が退席を求められた為議決権を行使しなかつたことは当事者間に争のないところである。斯様に或る議題につき個人的な利害関係を持つた者はその議題については議決権の行使を排除されるかについて考えるに或団体の総意はその団体の構成員である個人の意思と特殊意思と呼ばれているものに依つて成立つものである個人意思であるからには自己の利害関係についての意思もあるのは当然であり、自己の利害関係に関するの故を以てその意思を表決から排除すると云う理由は成立たない斯様な個人意思を排除して行つた表決の結果僅かに一票の差であつたとする場合に若し排除された個人意思を少数票に加えたならば可否同数となつて可否が決定しないことになり、可否同数の場合に排除された個人意思を加えたならばその加えた方は一票の勝越で多数となつて成立すると云う結果になる。逆に当然加えるべき一票を排除したとすれば因つて得た団体の総意と称するものは実は真の総意ではないのである。此の事は所謂利益社会(ゲゼルシヤフト)にも又所謂共同社会(ゲマインシヤフト)にも共に妥当する。従て元来なれば自己の利害に関するの故を以てその意に反して議決権の行使を排除することは法律や規約に依つても之を奪うことは出来ないとせねばならぬ。然るに飜つて既成法律を通覧すれば茲に一々枚挙する迄もなく斯かる場合には議決権の行使が拒否されていることを知ることが出来る。此等の事実から帰納した場合には心ずしも奪うことの出来ない。即ち特別の規定に依り奪うことも可能であると云う法則も認むべきではないかと云うことが一応考えられる。しかし此等の規定は団体法の原理とするところに反するは勿論憲法第十四条の精神にも反し、法の下に於て不平等な取扱をするものであるから憲法第九十八条に依り無効である。此の種の私法行為としての規約も亦民法第九十条に依り無効であると云うべく、斯様な無効の立法例や無効の慣行から帰納して法則を認むることの出来ないのは勿論である。しかし斯様に利害関係ある者の議決権の行使がその故に拒否されたからと云つて必ずしも常に決議全体の無効を来すものではなく拒否された者が議決権を行使すると否とによつて決議の結果に影響のある場合のみ決議全体の無効を来たし、然らざる場合は無効を来すものではないと解する。右の場合議決権の行使を拒否することは無論違法ではあるが、それは拒否されたその人のみに関するものであるからである。而して本件に於ては前示規約の第三十三条第二項が此の問題を取扱つているとは云え、その規定の趣旨は必ずしも明かではない。同規定には組合員は自己の言動に関し議決が為さるる場合には自ら参加し発言する権利を有すとなつていて一見議決権の行使も出来る趣旨の様にもある。しかし自己に利害関係のある問題についてはその者は表決権を有しないとするのが元来は正しくないとは云え、今日では常識となつていると云うことを考え合せると、本来不可能なことを特に許すと云う考から出来た規定であり、従て表決権をも認むる趣旨ならばそのことがもう少し明確に表現される筈であるのみならず、自ら参加し発言する権利と云う発言とは表決に入る前の討議に於ける発言を指すものと解されるから表決に参加することをも許す趣旨ならば発言と云う字句の次にその旨の字句を加える筈であると思はれること等を綜合すれば、右に参加と云うのは討議に参加すると云う趣旨であつて表決に参加すると云う趣旨ではないと解される。そして斯様な規約の規定は当然許さるべきことを規定したものであつて無意義なものであると云うことが既に説明したところによつて了解されるであろうし、前段に於て問題となつた投票及その計算の際に原告等を立会させなかつたと云うことは一応は違法ではあるが、しかし此のことが決議全体の無効を来すに足らないと云うことも納得が出来る筈である。以上の如く原告空閑及杉の両名が執行委員会の構成員であつたに拘らず、本件執行委員会に於て表決を拒否されたのは一応違法であることが明かにされたが、前示規約第十五条の規定によれば執行委員会は構成員の三分の二以上出席し、その出席員の過半数を以て決することになつている。そして当時の執行委員会の構成員が四十二名であつたことは当時者間に争なく前示乙第一号証の一に依れば原告空閑及杉の両名を除いても全員三分の二以上である三十四名の出席者があり、その中二十五名の除名賛成のあつたことが認められるから右原告両名を出席者とし、且つ反対意見として計算しても尚且つ除名賛成は過半数以上であり、従て右原告両名表決に加えたとしても結果に影響がないことが明かであるから、右原告両名の表決を拒否した違法があるに拘らず此の故を以て決議の無効を来すものではないと云うことが上来説示したところに依て了解される以上に依り、後段の問題に属する決議の結果に影響を及ぼすべき違法のないことも亦明かになつた訳である。次には内容的実質的な面から見ての違法の有無即ち本件除名は除名するに付正当の理由があつたか否かの問題に移る組合員は組合員となつたことに因つて自己の持つ或る種の権利を処分したのではあるけれども、而かも尚且つその個人的立場法律上の地位を全然喪つた訳ではない依然として組合に対しても自主、独立、平等性を保持し、個人として尊重さるべきである。そして除名は組合によつて此等の個人的立場法律上の地位が侵されるものであるから、それに値する丈の正当な事由がなければならないのであつて、法律規約と雖何等の事由なくしては之を奪うことは出来ない。除名は被除名者の法律上の地位を奪うものであるとすれば除名が有効であるか否やは法律上の争であり、除名の理由が正当であるやも亦法律上の争であつて結局は裁判所の判断に依て決定さるべき問題であると云はねばならぬ。正当であるや否やと云うことは相対的な問題であり、条件に依て異り得るし、その時の一般社会通念に依て判断される被告は特別社会には特別の社会通念がある、例えば労働者社会に於ては労働者社会としての社会通念があるから労働問題については労働者社会の特別社会通念に従て判断されねばならぬとするのであるが、特別社会通念は一応あるものとしてもそれは一般社会通念に依て特別社会に於てであるから斯様であり得ると云うことが承認されたものでなければならぬであろう。特別社会は一般社会の一局部であり、一般社会は此の特別社会を包摂したものであるから一般社会の中に在り得ないものは一般社会の中の特別社会の中にも在り得ないからである。今は昔の語草であるが、しかし稀には今も尚伝えらるる彼の北海道の監獄部屋内の慣行の如きは彼の社会内に於ける特別な社会通念に依れば当然許さるべきことであるとしても一般社会通念からすれば到底許さるべきことではないのである。之に因て之を観れば特別社会通念は結局一般社会通念の中に包含されるものであることを知り得るから社会通念に依て判断すると云う場合には一般社会通念に依ると云うことが云い得られるのである。却説除名が正当であるか否かを判断するに当り、その対象となるべき事項は先きに認定したところの統制を紊した行為、その動機の外の行為後に於ける原告等の心情や被告組合と会社との間には労働協約に於て所謂クローズドシヨツプ制が採られていると云うことその他情状に関する事項除名の結果等である。そしてクローズドシヨツプ制協約の効力問題については夙に争があり、本件に於ても被告は有効であると云う建前を採り、原告も特に無効を主張するものではないが実質上は無効であると云うことを留保しているし、之れが法律上無効であるとするならば本件について斟酌の必要がない訳であるから、茲でその有効なりや否やを確定する必要を感ずるのである。クローズドシヨツプ制の内容は大体に於て使用者は組合員でなければ傭人入は勿論その使用の継続が出来ない。従て組合から脱退し或は除名されて組合員でなくなれば使用者はその者の使用を継続することが出来なくなり、之を解雇せねばならぬものであると解されている。今有効説を支持するに有利な点を考えるにクローズドシヨツプ制あるに依り、個々の組合の団結を固くし個々の組合の団結が固くなれば組合の連合体の団結も固くなり、従て労働者の多数の団結が固くなり、その利益を増進しその地位が安定する労働者の地位の安定と云うことは経済の興隆の為必要であり(労働法第一条、労調法第一条)此のことは公共の福祉に関すると云い得る之れに反して無効説の支持に役立つと思はれる点は個々の労働者の組合に加入しないと云う自由が害され、従て職業選択の自由が害され生存が脅かされる使用者の雇傭の自由が害され、その結果事業経営の円滑を欠き延いて経済の興隆が妨げられる虞があり、此のことは公共の福祉に関するとも云い得ること等を挙げることが出来るであろう。ところが個々の労働者の組合に加入しない自由と云うのは元来組合は労働者の利益増進を目的とするものであると云うことを思えばかなり贅沢な自由であるとも云えるし、又労働組合は労働者の為に門戸を閉ずる訳ではなく、却て門戸を開放して出来る丈多くの労働者を収容結束しようとするものである。少くとも左様あるべきだと云うことも考えれば労働者の職業選択の自由が害されるとも思えないし、実際にもその弊害は極めて僅少であつて公共の福祉に反するとまでは云い得ないであろう。又使用者の雇傭の自由にしても組合が良心的であり、経営そのものについて協調的であれば害されることはない現在の労働組合が凡て良心的であり、経営そのものに協調的であるかどうかは遽かに断言は出来ないけれども少くとも差様であるべきことは労働立法の教ゆるところであり、且つ左様に在り得る筈でもあるから結局雇傭の自由が害されたり、延いて事業の円滑な経営が阻害されると云うことはあり得ないと云い得るのみならず労働協約は使用者の承諾したものである。若しクローズドシヨツプを左様に嫌忌するなら承諾しなければ良いし、それを拒み得る丈の対抗力がないとすれば即ち止む訳である。斯様に観て来るとクローズドシヨツプ制を無効とする理由はない。即ち法律上有効であるとせねばならぬ。そしてクローズドシヨツプ制のある場合に除名されると被除名者は必然的に解雇されて失業し、他に就業と云うことも容易でない現情勢の下では大きな痛手を蒙むると云うことを否定することに出来ない。次に情状に関する点を考えるに団体交渉中各個撃破と云つて組合側の交渉委員等が手分けして各別に会社側の者を訪問して交渉し、会社側の者を一人一人切崩して交渉を有利に導くと云う方法は往々施用されるところであり、証人愛甲昇の供述及被告の自陳に依れば本件争議中に於ても委員会の承諾を得たとは云え焼成課の組長等が品川課長に個別交渉をしたと云う事実が認められる。是等のことから原告等の本件行為は絶対に許されぬものではなく事前に他の交渉委員に諮つたならば、或る同意を得ることが出来たかも知れぬと云う感を懐かせるものである。事後の情状としては前示乙第一号証の一の記載に依れば、原告等は何れも前非を悔い陳謝の意を表していたことが認められる。次に前示乙第三号証規約第三十一条には本組合員にして(一)組合員としての義務を履行せず組合規約に違反し規律統制を紊したる者(二)破廉恥又は不正行為等により組合員たるの名誉毀損せる者(三)本組合に損害を与へたる者に該当する者があつた場合は執行委員会の議決により警告譴責、解任、権利停止、除名等の処分をなす旨規定されて居り、是等処罰の原因事項は抽象的には何れも正当な除名事由となり得るものと解されるが、具体的には事の大小軽重に従い或は正当な除名理由となり、或は然らざるものがある訳である。之を本件に就いて観るに既に説示した様に原告の本件行為は規律統制を紊したとは云え、争議行為に入ることを避けて円満急速な妥結をすることが組合の為にも利益であると云う動機に出たものであり、その個別交渉と云うことも絶対に許されぬことではなく本件争議中にも他の交渉要員に於て他の者に承諾を与えた事実があつて、本件の場合も事前に諮つたならば或は他の委員に依り承諾されたかも知れぬと思はれる様な事情のあること結果に於て僅かに組合の面目を損したと云う程度の影響しかなかつたこと原告等は事後問題の執行委員会当時既に十分前非を自覚していて再び斯様なことを反覆するの虞はなかつたと認めらるること等彼此斟酌綜合し、之を一般社会通念に照して案ずるに抑も除名はその者を組合から追放するのであるから、それが為にはその者の行為が甚だしく反組合性のものであつて組合に大きな損害を与えたとか、その反組合性からの維持乃至健全な発展が大に脅威されるとか云う様にその者が組合に留まることと組合の存立とが両立し難く組合からすれば、その者を追放することが止むを得ないと云う場合でなければ除名は為し得ないものと云はねばならぬ。然るに本件の場合は前示の如く組合の損害と云つても極めて軽微な而かも気持上のものであり、原告等自身としては反覆の虞はないのであるから原告等が組合員として留るとしても僅かに他戒の意味に於て原告等を懲戒すれば足り、之を除名しなければ組合の存立が脅威を感ずると云う程のことは全然ないのである。それにも拘らず之を原因として除名すると云うことは民主主義の下に於て最も尊重されなければならぬところの個人の主体性を殆んど否認するに等しく、甚だ酷に過ぎ相当と云う域を遥かに超えたものであつて、到底除名の正当な事由であると為し得ない使用者との間にクローズドシヨツプ協約があると云うことを姑く度外に措くとしても既に左様であるが、之を加味斟酌すれば過酷の度は更に一層甚だしいものがあると云はねばならぬ。労働組合には自治が予定されているとは云えそれには自ら限界があり、本件の如きはその限界を甚だしく逸脱したものである。されば本件除名は法律上正当な事由を伴はない違法があり、法律上無効であると論断すべきである。仍て原告の本訴請求は正当として之を認容し訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。

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